その判断は感情?
『よし!こうしよう!』
今、考えたその考えは「感情から」なのでしょうか?あるいは「心の声から」だったのでしょうか?
こう問われても、ふだんそんなことをいちいち意識している人はいません。
「感情」も「心」も自分であり、「それは自分の考え」であり同一なものではと思うかもしれませんが、「感情=心」ではないことに気づきませんか。
では「かーっ」と頭に血が上った時の自分は本当の自分でしょうか。
心とは裏腹な瞬間なのではないかと思うのです。
このように人は感情で行動している結果、誤った選択をしている場合が多いということに今回は視点を当てたいと思います。
「感情」を前面に出してしまうことは好き嫌いという判断になりがちです。
特に人間関係などではその傾向が強くなります。
思想、考え方が異なるだけでその人個人まで嫌ってしまう。
日本人は特にその傾向が強く欧米人ではそれらを別物として接することができるところがあるとは言われています。確かに大ゲンカした後に酒を飲みかわすなどしているイメージもあったりします。これなどは一時的な感情の起伏から起こったことです。
とはいえ元々合わない(相手も合わせてこない)相手は存在します。
その相手に対してどう思いますか?
ここで「感情」と「心」の違いからこの件をとらえてみましょう。
「心」ではこの関係をどうとらえますか。
「なんとかうまくやれないものか」
「穏やかに収めたい」
「自分の人生においては大きな問題ではない」などと浮かぶかもしれません。
もしかしてこれらの考えも本来の心からではなく感情から引き起こされている可能性があります。
「面倒くさい」
「時間の無駄。接したくない」
という感情の現れかもしれません。
実は感情というものは自分にとって都合の良いように動いています。
なるべくかかわらないように楽に生きたいと働くのが感情です。
これではカモフラージュされその本質に普段気づきません。
これを本当に「心」でとらえたらどう変化が起きるでしょうか。
本当はどうありたいのか?
対人問題を含む自分の生き方はどうありたいのか?
「心」が描いているもの。
それは他人では当然わからない。本人も気づいていないことかもしれません。
なぜならお話したように感情によって覆い隠されているからです。
それだけ「心」が求める本質に気付くことが難しいのです。
そして人はこの「自分の心の本質」を知るための「生きる旅」をしているとも言えます。
そう考えると今ある日常の些細な出来事はあなたの「心」の大勢には関係ないことかもしれません。
