私の将来の夢
誰でも一度はこのような課題での作文を書いたことはあるのではないでしょうか。
活躍している芸能人やスポーツ選手の中にはその内容のまま夢を成し遂げたという話を聞くことがあります。
しかしその領域に達することのできる人は限られていて、チャレンジした人たちを含め多くの人は途中で方向を変えざるを得ないターニングポイントがやってきます。
最悪の場合、自暴自棄になりその後流された人生を送る人もでてきてしまう。
そこまでは行かないものの、未練や失敗などを繰り返し思い出しては日常との乖離を感じ生活している方は多いでしょう。
そのことに費やした時間や努力は無駄になったのでしょうか。
その場に今、直面している人にこのようなことを言っても聞く耳はないと思いますが、その道が本当に自分にとって正解だったのかは誰にもわかりません。
その道に進んでいたらこんな将来があったというのはただの妄想です。
預言者ではないのだからそうなっていたはずとは誰にも言えません。
何十年も先のことはわからないのです。
新たに始めたことが、もしかしたら天職だったというのも長きにわたる時間の後でないと答えは出ないかもしれません。
また人生は努力をしたからという代償の先に思うような未来も用意はしてくれない。
でもその人はその人なりに思う人生を送る権利がある。
確固とした道があるわけじゃないのだから、せめて人生を自分なりに楽しく過ごすのは流れに任せることではないだろうかと思う。
だからといって無分別に生きることではない。
目標だけは決めておかなければいけないと思う。
夢ではなく、ここまで来たら目標だ。
それも大それた目標ではなく足元を照らしてくれる程度の目標でいい。
その道は歩き初めには見えないけれどふと気づくのだと思う。
気づくと人生は意外な形でおさまってくる。
もちろん子供の頃に描いていた夢や世界とは別物のことがほとんどだけど。
人生は考えたようにはならない。
だけど楽しいとか面白いとかを求めた結果、納得できるものならそれがいい。
それは人によって違うのだから同じ型のものじゃないし、それを見比べるものでもない。
若い人ほど夢のない話だと思うかもしれないが、決してそういう意味では言ってない。
自分が思っても見なかった出来事があり世界があり、ある日気づくとこの道も間違いじゃないなと思う日が来る。
夢がない話だって。
そんなことない。
夢が夢であるよりは地に足がついて体験した人生がそこにあるはずだから。
