本当にその人が責められるものなのだろうか
わかりやすい例から話しましょう。
野球やサッカーなどの最終回あるいは終了時間間際な場面を描いてください。
そこでエラーをしてしまうことで失点をした選手がいるとしましょう。
そのために負けゲームになってしまった。
悪い(あえてそういう表現をしますが)のはミスした選手なのでしょうか。
結果その選手が最後の場面でミスをしてしまった。
それまでゲームは拮抗していた展開だった。
ゲーム中、別の機会に別の選手が失点をしていたら?
ミスにより好機を逃した選手がいたら?
それぞれのことを対等に評価した場合、最後にミスをした選手にそれだけの非難をすべきなのだろうかという
疑問が生じるのではないでしょうか。
人は最後に起こったことが原因であり、結果だと思ってしまうところがあります。
最後に得点を決めた選手が賞賛され、ミスした選手が責めを受ける場面はあまりに多いのです。
最後の場面というのは確かに一番目立つものです。
しかしそれまでの経過には似たような場面もあるわけで本来それぞれにおいて対等に考えなければ
ならないものであったりしませんか。
スポーツのことを例に上げましたが、同じようなことはどの世界にでも存在します。
それらをふまえて物事を対等に評価する。
そういう視点で物事を見ることは大事だと思うのです。