やり抜くことは本当に必要か

GRITという言葉があります。「やり抜く力」とペンシルバニア大学のアンジェラ・リー・ダックワース教授が提唱した言葉です。成績優秀な学生の共通しているものは「情熱」「根気強さ」と示しています。

社会においても懸命に物事に打ち込み、考え、行動し、あきらめずにやり通すことが成功することに必要と言われ続けてきました。これは多くの場合、正しいのかもしれない。

知能や才能が同程度だと仮定した場合には結果としてはそうなる可能性も高いことは想像できる。さてこれらのことをベースに現実的なことを考えて見よう。

極端な例で高校野球をとらえてみよう。甲子園で優勝できる学校は1校である。あとの学校はすべて敗者ということになる。では県代表になったのは敗者であるのだろうか。どうみても違うはずだ。このように逆にさかのぼって考えて見ていけば、それは努力つまり情熱をもってやってこなかったという言葉に置き換える方がおかしい。

しかし社会はそういうとらえ方をしない。常に勝者と敗者に置き換えたがる。敗者などという言葉を使われた者には情け容赦ない。持ち上げて落とすというマスコミが得意としている手口だ。こういうことには若い人ほど適応力がない。それは人生の経験値もそんなにないわけなので仕方がないことだとは思う。またSNSやネットでの切り抜き情報では誤った方向を向いてしまうのは仕方がない。

だからといって教育が学校がそのようなことに対する適応力を行う学習をしているとかは聞いたことがない。会社に入ってからはそんなことに時間をかけるところはない。なぜならそれは生産性を落とすようなことになりかねないから。

グリットによって成功をもたらす可能性は生じるかもしれないが、別の側面もあるということに気づいていなければならない。

事半ばであきらめることが最善の選択もあることを。

やっていたことを放棄することで別の未来が待っていることを知らなければいけない。親や教師など周りの人はその時に教えてくれないことも多い。人生において失敗は日常茶飯事だ。致命傷になるかならないかは最終的には自分しかわからない。

そこそこの満足度と楽観的な人生観は身につけるに越したことはないと思う。

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